くつやメンヘラ寛解への道

社会へフラフラ 精神病を科学からスピリチュアルまでどんな手を使ってもまともになっていきたいという記録

田舎の精神障害者雇用の現実

もう更新しないであろうと決めていたブログをまた書く羽目になってしまいました

 

改めて自己紹介しましょう

僕は19歳のときに精神科にかかり

統合失調症として10年間治療を受けるも何も解決せず

 

精神障害者保健福祉手帳2級を取得し

障害者雇用で地方の教育委員会の面接を受け

学校で働くうちに症状が改善していき

自分が統合失調症ではなく、パーソナリティ障害であったと気付き

職場の人たちに病院を変えて新しく治療を受けたいと伝えていた矢先

一部の心無い教師の言動で症状が悪化し入院

 

そこで奇しくも別の病院で改めてパーソナリティ障害であると診断され、症状も薬を変えれば安定するとされたのにもかかわらず

 

教育委員会から事実上解雇を言い渡されてしまいました

 

地方の、一般企業の障害者に対する理解はまだよく広がっていなくて

 

特に、パーソナリティ障害という病気も珍しいので、障害雇用でも働ける場所が限られてしまいます

 

就労移行支援施設や市役所の保健福祉科にも相談していますが

あまりいい就職先がありません。

 

かと言ってずっと家にいることも苦しいのです。

 

誰だって、好きで精神障害者になったわけではありません。

 

頑張ろうと思っても頑張れないことが悔しいのです。

 

精神障害者の犯罪が多く報道されますが

精神障害者だから犯罪者になるというわけではありません

 

健常者のように振る舞いたいけど出来ない

その苦しみを理解出来る人が、果たしてどれだけいるでしょうか。

 

中には凶悪犯罪に走ってしまう方もいます。

 

犯罪は絶対に許されるべき行為ではありません。

 

人を犯罪に走らせる「環境」「空気」こそが悪なのです。

 

私たちは誰かを苦しませたいわけじゃない。

 

苦しくても助けを求めることが出来ない

出来ても人の気持ちまで沈めてしまう

 

それがわかっているからひとりで抱え込むのです

 

僕は、今、苦しいです。

 

でも、もう知人、友人に苦しみを訴えることはやめました。

 

言葉には、不思議な力があります。

 

人の気持ちを変える力があります。

 

だから僕は、Twitterや、ブログで

この苦しみを吐き出しているのです。

 

同じ苦しみを抱える人たちと繋がっているのです。

 

だけど、それだけではこの苦しみのループから抜け出すことは出来ません。

 

この苦しみのループから解放するために

 

どうしたら苦しみから脱却出来るか

 

どうすれば幸せになれるかを

 

ディスカッションしていきたいと思っています

 

僕はまだ、諦めていません

 

僕にできることがあると、まだ信じています

 

苦しんでいるフォロワーさんや他に精神疾患を抱えて苦しんでいる人たち

 

共に、歩んで行きましょう。

精神科医療という選択肢の是非

かなぁぁぁりお久しぶりですくつやです。

 

 

Twitterで何度も呟いているのでこのブログを読んでくれてる方はわかっていると思いますが

 

 

僕は県立の精神科医療センターのお医者さんに

統合失調症と診断され、精神障害者保健福祉手帳2級を所持していましたが

 

 

セカンドオピニオンの結果、パーソナリティ障害という病気でした。そしてこのパーソナリティ障害という病名の方が、僕の中でしっくりくるのです。

 

 

 

僕が以前通っていた病院では、診察時間は5分ほどでろくに話も聞いてもらえず、カウンセリングも全くしてもらえず、投薬治療のみでした。

 

 

僕は、精神を病む一番の原因は環境だと考えます。

 

その環境が合わないことにより、ストレスを感じて精神を病む。

 

心も体の一部です。ストレスにより何らかの症状が出ているのに

 

ストレッサー(ストレスの原因)をなんとかすることもなく、薬で症状だけを抑え込む。

 

これで精神病が良くなるはずもありません。

 

 

このパーソナリティ障害という診断をしてくださった病院にかかったのは、僕が仕事と家庭でのストレスが爆発したことがきっかけでした。

 

 

僕は障害者雇用であるにもかかわらず、職場でパワハラを受け

 

家庭でも、過去の虐待が原因で孤立していました

 

 

ストレスがピークになり、家族と警察が介入するほどの大喧嘩をしたことがきっかけで

 

早くに嫁いで行った姉が市役所の保健福祉課(?)に連絡をとってくれて、新しい病院に受診することが出来ました。

 

 

そこで、精神病に苦しんだ10年間で、やっと適切な診断を受けることが出来ました。

 

 

 

実は、僕は自分がパーソナリティ障害であることに以前から気づいていました。

 

 

でも、素人の僕がどれだけ説明しても誰もわかってくれないと

 

皆を騙して統合失調症という仮面を被っていました。

 

でも、もう、その仮面をつける必要もなくなりました。

 

 

この10年間で、色々なものを失いました。

 

 

医者も家族も信じられませんでした。

愛した人も去っていきました。

 

 

しかし、僕はこれからも、生きていかなければなりません。

 

 

やっと、本当の自分で生きていていいと自信を持てたので

 

 

これからは、演技じゃない、本当の自分で

 

幸せを掴んでやろうと思います。

 

まずは、一人暮らしから!

 

9月に市営住宅の入居者募集があるらしいので

 

保健師さんと相談して、家を出ようと思います。

 

 

このブログを読んでくれてる皆さんも

 

 

自分が今受診している病院に疑問があったら迷わずその疑問を主治医の方に話し

 

もし納得出来ないようであれば

セカンドオピニオンをおすすめします。

 

 

もしかしたら、僕のようなパターンも有り得るかもしれない。

 

 

精神科医の誤診は、今の法律で裁けません。

 

 

だから、せめて適切な治療を受けられるように。

 

セカンドオピニオンという選択肢があるってことを

このブログを読んでくださった方に知っておいて欲しいと思います。

 

 

 

病気のことについては、もうこの先書くことはあまり無いかもしれません。

 

 

が、気分でたまーに更新しようと思います。

 

 

 

では!ここまで読んで下さり、ありがとうございました!オチャア(「🍵・ω・)「🍵

 

もうすぐ令和ですね

ご無沙汰してますくつやです

 

さて、前回更新したのがいつなのかも

何を書いたのかも忘れてしまいましたし

誰も読んでいないかもしれませんが

 

気にせず書いていこうと思います←こういう考え方出来るようになったことが成長だと思ってます自分では

 

さて、僕は統合失調症(と診断されて)

精神障害者保健福祉手帳2級をとり

障害者雇用で働き始めたわけですが

 

この、新しい職場の方々が

本っっっっっっ当にいい人たちばかりで(´;ω;`)ウッ…

なんとか半年近く1日も休まずに働けています( ˘ω˘ )

 

少しづつ自分に自信もついてきて

順調すぎて怖いな、と思うくらいでした。

 

体も心も調子が良くて、周りがいい人たちばかりなのに

なぜ、不安になったりするんだろう

今までの自分を振り返り、色んな本を読み漁り

なんとか答えを見つけて、今では不安も和らいでいます

 

若い頃に、今のように体の調子が良くなってきて

周りにもいい人たちばかりで「ああ!俺はもう元気になった!病気も治ったんだ!」

って勝手に判断して通院をやめて

楽しく過ごしていた時期がありました。

 

その頃の僕は、見た目とても元気のいい青年だったと思います

何もかも、ポジティブにとらえ

明るく周りの人達を笑わせていました

「自分は元々はこういう人間だったんだ」という風に考えて

思うままに振舞っていました。

 

その頃は、何故か女性にもモテていました。

 

明るくて活発な人は好まれますよね

僕はそういう人に、無意識に「なりすまして」いたんだと思います。

 

そして、周りが優しい人ばかりだったので

ある程度のわがままな行動も許されてたんですね。

 

でも、そんな「なりすまし」の偽物の人気者は

バックボーンとなる「経験、知識」が足りてなかったようで

ささいなことで、ポッキリと心が折れてしまったんです。

 

一度の失敗で、ずっと引きずり

明るさも影を潜め

暗くなっていって

周りから人もいなくなって

 

結局はまた通院することになったんですね。

 

 

そう、これは僕の人生においての「失敗」です。

 

でも、失敗も悪いことばかりではありません。

そこから必ず、「学べる」ことがあるんです。

無くても無理やり作ればいいんです。

 

「後悔する」という時間を

僕は今は「フィードバックする」という時間にしています

 

「なぜ、こんな失敗をしてしまったんだろう」

 

「なぜ、1度の失敗でズルズルと落ちていったのだろう」

 

「なぜ」を自分の経験と知識を使って解決策を見出し

それを「今後」の「失敗したとき」と「失敗の予兆」が起ったときに活かす。

これが今、僕が安定している理由だと思います。

 

僕の人生には、人とは比べられないほどの「失敗」がありました。

 

最愛の人を死なせてしまったことも然り

 

だからこそ、しっかり知識と経験を身につけ

今後のために活かす

 

そして僕のような人を少しでも減れば

 

最近はそう考えるようになりました。

 

なんか自分で書いててよくわからなくなってきたので

今回はこの辺で終わりたいと思います( ∩ˇωˇ∩)

 

新しい元号に替わるということで

皆さんにいい「転機」がくることを祈ってます。

 

それでは僕はせっかくのお休みなのでのんびりします_(:3」∠)_

 

また不定期更新します。

最後まで読んでくださりありがとうございまして( 'ω')ウオオオオオオオイアウオオオオオオオ!!!!!

あくまでも個人の見解です( ˘ω˘ )

久しぶり過ぎてもう誰が見てるんだって思うけども、どこかで誰かが同じような境遇にいるかもしれない

自分の経験がその人の助けになるかもしれない

ならないかもしれない

 

かもしれない運転靴屋です\( 'ω' )/

 

さてさて、いきなり突然ぶっちゃけて言いますと

私、統合失調症精神障害者保健福祉手帳2級の精神障害者ですが

ここ半年くらいお医者さんに反発して抗うつ薬飲んでません!!!(ダメ)

断薬は医師の指示の元、慎重かつ少量ずつ減らしていくべきことです。

症状が安定したからといって、自分の勝手な判断で服薬をやめてしまうことは危険です。

離脱症状というものが出てきて、より悪化してしまうこともあります。

本人はすごく調子がいい!治った!!って思ってても

それは医師から、または周りの人達から見ると躁転したと捉えられます。

 

ものすごく元気になりすぎたり活発になりすぎるのは、むしろ症状が悪化しているとも言えます。

 

何を隠そう、僕は身をもってそれを経験しています。

ものすごく活発で行動力があり、意欲に満ち溢れ

「もう病院なんて行く必要ない!!」と勝手にのたまい通院をやめてしまったのです。

 

一見すると明るく愉快な青年に見えたことでしょう。

しかしそれは本当の僕の姿ではありませんでした。

見事に躁転していたのです。

そして、それは決して頑丈ではなく

いやむしろすくにポッキリと折れてしまう諸刃の剣でした。

案の定ポッキリと折れ、再び精神科に通院し昨今までズルズルと生きてきたのです。

 

しかしひとつ、僕には問題がありました。

抗うつ薬を飲んでも、気持ちの沈みがまったく変わらなかったのです。むしろ倦怠感にまみれ、何にもやる気がなく、毎朝死にたい死にたいって思っていました。

抗うつ薬は、太りやすいと言います。

担当医にそれを聞いたら

「ちょっとお通じが悪くなるくらいだよ」って優しく言ってくれましたが

自分で調べてみると、全然違います。

僕が飲んでた抗うつ薬には代謝抑制の効果があり、やっぱり太りやすい薬だったのです。

 

躁転時代の僕は、痩せていました。

明るく活発で痩せていました。

そうです、モテていたのです(自分で言ってしまう)

それが薬を飲み続けていても

憂鬱な気分は変わらない、やる気も出ない、太り続ける。

 

なら躁転時代の方がよっぽどマシじゃないか。

その頃から断薬を試み始めました。

やっぱり挫折しました。

 

断薬すると、やっぱり離脱症状が出てくるのです。

グワングワンと例えようのない感覚に襲われ

怒りと衝動が込み上げてきて、攻撃的になりました。

これじゃまずいと薬を飲みました。

 

しかし、短期間の断薬の中でも変化は見られました。

痩せたのです。

 

僕は、男としては気持ちが悪いかもしれないけど美意識が高い、いや、みすぼらしい姿の自分が嫌いでした。

ずっと嫌いな自分のまま、薬漬け…

そもそも統合失調症と診断されたときも、聞こえてない幻聴を聞こえてると勝手に言われ

見えてない幻視を勝手に見えてることにされたことから始まったんだ…

 

俺の人生だ!俺の勝手にしてやる!

ちょうど仕事を辞めたタイミングだったのでもう一度チャレンジ。

精神面ではあまり変わらない

しかしやはり体重は落ち続けていきます。

 

離脱症状の時期も抜けて、僕は丸裸の精神障害者となっていました。

ここでまた、引きこもってしまったら同じことの繰り返し…

変に活発になってしまったりしたならばまたもや躁転と捉えられて保護室行きになってしまう

 

ここで僕は、僕を含めたみんなを「騙す」ことにしたのです

医者に行ったときは「いつもと変わりありません」と言い、薬は前に残してたやつがあるといった具合で騙していきました

 

抗うつ薬を断薬しても、そこに残ったのは何も持ってない自分

このままではまた逆戻りだと、僕は本を読み始めました。

脳科学の博士の書いた脳の使い方の本です。

統合失調症の患者の脳は、セロトニンという幸せを感じるホルモンが正常に分泌されていない、人より少ないといったことがわかりました(僕の考察です)

少ないセロトニンを取り込み過ぎてしまうから、セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)を飲んでたんですね。

ならばセロトニンを増やせば良くなる?と単純にセロトニンが多く分泌されるような習慣や食事に気を使うようになりました。

たとえば、姿勢。

僕はずっと猫背でした。

猫背を意識して、背筋を伸ばし胸を張る「習慣」を身につけました。

そして、笑顔。

これがなかなか厄介でした。僕は笑顔が下手だったのです。

普段暗い顔してたやつがいきなりヘラヘラ笑いだしたら怖いですよね笑

 

そこで、自分の鼻炎持ちという体質を利用し、人前に出るときは常にマスクをするようにしました。

マスクの下で口角を上げて笑っていたのです。

 

経過は、思っていたより良好で驚いています。

また、抑うつを感じるようになったら服薬もじさないと考えています。

 

しかし、twitterにも投稿したとおり

僕の今はここ数年で1番良好です。

これが何年も続けば、これは寛解と呼べるのか…

 

あ、みたいドラマ始まったのでここまで!笑

 

また時間あるとき書きます〜\( 'ω' )/

神も仏も

こんにちは、くつやです。゚(゚^ω^゚)゚。

 

なにやら怪しげな組織の人達曰く、僕たち人間は魂のただの乗り物だとかいうらしいですね

 

そして身に降りかかる不幸は全て前世の自分が犯してきた罪への罰だとか

 

だけども前世の記憶は全部抜いていかれるから自分ばかり何故不幸になるのか、と人を憎むようになる

 

人のことを憎むことも罪になるのでさらに罰がくだる

 

いや、ちょっと待て?

 

仮に魂を反省させて綺麗にするなら

記憶そのままか、そのまま前世で罰したらいいじゃん

 

記憶消したり魂を身体に入れたり人を憎むことを罰したり出来るんならそれくらい出来るだろう?

 

今、まさに今、自分に悪意を持って危害をくわえようとする人がいても

 

たとえ強姦されて殺されたのに

犯人が捕まらないまま大往生したとしても

 

「必ず来世で報いがありますから恨むことはありませんよ、むしろ恨むことであなたを罰しなければなりません」

 

そんなことを受け入れろと?

 

それがこの世界の真理だと?

 

もし仮にこれが真理で僕が死んだあと神や仏に会ったら

顔面にグー叩き込んでやる

 

 

けど怪しげな組織の話にも学ぶべきところもある

 

憎んだり、恨んだりしても

気持ちがおだやかになることはない

 

僕がそうだったように

 

全て、「手放して」しまえばいい

ドラえもんもいないし、タイムマシンは出来ないよ、未来から来た人なんていないでしょ?

 

過去には戻れない。

 

前だけ向いて歩いてけばいい。

 

人生失敗しようが成功しようが最後は死ぬんだから。

 

やってする後悔よりやらなかった後悔のほうが強いって言うでしょ?

 

やって、やっぱり失敗しても

笑い話にしちゃえばいい。

 

僕の1番の友達は、ホントによく失敗する

それを面白おかしく僕に話してくれる

僕は大笑いする

 

彼は僕を大笑いさせることに成功したんだ。

 

彼から学べるものは多い。

これからも、僕もたくさん失敗して

彼を笑わせてやろうと思う。

 

トラウマ放り捨てて、やってみますか

 

約10年ぶりの 恋 愛 を!!

 

その前にまずはお仕事。゚(゚^ω^゚)゚。

結果はまた、ツイートしますね\( 'ω' )/

 

なにやら今回は趣向を変えて書いてみました

 

ここまで読んでくださりありがとうございます∩˘ω˘∩

 

 

 

 

 

 

擬態( ͡° ͜ ʖ ͡° )

こんにちは、統合失調症精神障害者保健福祉手帳2級所持現在就活中、何かしらミラクルが起きて最終的に幸せな家庭を築きたいと夢見る男くつやです( ˙࿁˙ )ᐝ

 

 

今回のテーマは「擬態」です。

昆虫などが、外敵から身を守るため、獲物を捕らえるためなどに自然の一部のように姿かたちを変えるような意味ですね(確かそう)

 

 

僕が精神科にかかってから

様々な仕事を経験してきました。

しかし、どれも長く続けることが出来ず、安定した暮らしを送ることは出来ませんでした。

 

ですが、その失敗の経験の中でも

得られたものはあります。

 

それが、今回のテーマ「擬態」ですね∩˘ω˘∩

 

さも、健常者のように

更に言えば、一部の人から見たら魅力的と思わせるように

短い時間の中でなら「擬態」することが出来るようになりました。

 

それにより、短期間なら仕事、恋人を作る、なども、少しだけ出来るようになったのです。

 

 

でも、あくまで「擬態」でありますから

自分の本当の姿は違うということですね。

 

捕食者から身を守るため草に擬態する昆虫のように

獲物を油断させる海底の砂に擬態する甲殻類のように

 

僕は「健常者」に擬態して人間社会に潜んでいたわけです。

 

でも、そもそもそれには限界があります。

 

木の葉にしか見えなくても、すぐ近くまで目を寄せると、昆虫だとわかるように

 

距離が近くなればなるほど、「擬態」を見破られてしまうわけですね。

 

だから僕は、仕事も恋人関係も

関わりを深めるほどに、離れてしまうのでしょうね。

 

このことは、僕の人生での失敗だと思っています。

 

しかし、失敗が必ずしもマイナスというわけではありません。

 

失敗からヒントを得ることが、出来るはずです。

 

僕はこの作業をせずに、「擬態」に頼る時間が長くなったために人生が難航してしまったんだと思います。

 

ここ最近、ようやく自分を見つめ返すことをするようになったので

まだ、その失敗から出来た答えを見つけることが出来ていません。

 

しかし、正解へ辿り着くための引っかかりくらいは見つけることが出来ました。

 

それは「多様性」です。

 

どれもこれも、「擬態」で触れていたので短い期間ですが

 

僕は、様々な人、環境を経験してきたという風にも捉えられます。

 

長続きはしなかったけど

その経験の「多様性」は、きっと人生の何かの役に立つはずです。

 

 

そう前向きに捉え、僕はこれからその中の可能性を見つけていきたいと思います。

 

 

さぁ!明日は1次面接の結果発表!

出来ることはやったはずですから、ドンと構えておきます(明日になれば絶対ソワソワすると思う)

 

 

ではでは、今回もここまで読んでくれてありがとうございました∩˘ω˘∩

皆さんも、僕の失敗を見て

同じ轍を踏まないようにしてくださいね∩˘ω˘∩

面接└( 'ω')┘と病気になった経緯

どうも、統合失調症障害者手帳2級で現在求職中、アラサー独身彼女なしのくつやです。゚(゚^ω^゚)゚。

 

本日、障害者求人の1次面接を受けて参りました( 'ω' )/

 

昨日の夜と今日の朝、面接のシミュレーションをしてきたので、会場に着くまでは割と「なんだ、自分リラックス出来てんじゃん」っとのほほんとしてたのですが

 

会場到着後

 

え?けっこう人いる...

この人たちの中から選ばれなきゃいけないのか...

と不安と緊張が込み上げてきました:(´◦ω◦`):ガクブル

 

そんな迷える子羊状態の僕でしたが

面接ではしっかりと自分の言葉で面接官の方と話すことが出来ました。

 

なぜかというと...

 

なんと、就労移行支援施設の方が面接にまで付き添ってくださったのです( 'ω' )/

 

なんと素晴らしい施設でしょうか👏🏻

 

ひとりで面接を受けるより、誰かにそばにいて貰えたほうが安心出来ますよね( ˘ω˘ )

 

そのおかげで、僕がこれまでの仕事経験の中で困っていたこと、人間関係の築き方、仕事についての疑問等も話せることが出来ました。

 

質問されたことについては

やはり志望動機や

障害のことについてでした。

 

もっと質問されると思い準備していましたが

こちらから質問することと、半々くらいの割合でした。

 

面接を終えて、支援施設の方に感想を求めると

「上からのようなもの言いになりますが、上出来です!」

とお褒めの言葉をいただきました( 'ω' )/

 

1次面接の結果は1週間以内に決まるそうです。

 

たとえ駄目だったとしても、また紹介してもらえたり、相談に乗って貰えると思うと心が軽いです😌

 

結果については、またTwitterでも報告したいと思います。

 

さて、ここまでが今日の面接のお話。

 

ここからは、僕が病気になった経緯を書いていきたいと思います。

ものすごく長くなるので、途中で読むのやめてもらっても大丈夫です。

僕はこの事実を受け入れることで、前に進むことが出来ると思うので文章にしていきたいと思います。

 

僕は19歳の頃、専門学校に通っていました。

そこで、ある女性に出会います。

ここではAさんとします。

Aさんと僕は、育ちが似通っていたこと

たまたま教室での席が近かったことでよく話すようになりました。

 

お笑い番組のDVDを貸してもらったり

ファミレスで他の友達たちと一緒に勉強会をしたり

買い物に行ったり

 

そういう触れ合いの中で、僕はAさんに恋心を抱くようになりました。

 

Aさんと一緒にいる時間は本当に幸せなものでした。

元来、僕の性格は決して明るいものではなく、人に本音を語ることをあまりしない人でした。

 

しかし、Aさんには

境遇が似通っていたせいか、話せることが出来ました。

このとき初めて、自分のことを理解してくれる女性に出会ったと思いました。

 

僕は日を追う事に、Aさんへの想いを募らせていったのです。

 

そして、僕はAさんに告白することを決意しました。

 

 

 

 

結果的に、僕とAさんが付き合うことは出来ませんでした。

そして、あんなに好きでいて、もし告白を断られ恋人になれなくても友達としてでもそばにいたいと思っていたAさんを

 

僕は憎んでしまうことになりました。

 

 

僕は、それまで女性経験があまりなく

直接会って告白するという勇気がないシャイボーイ()でした。

ただ、感情を隠すのが下手くそで、僕がAさんに恋心を抱いてるのは周りの友達にだだ漏れでした。友達によくからかわれていました。

おそらく本人にもわかっていたと思います。

 

 

何度も何度も言おうとしましたが、いざ彼女を前にすると、どうしても踏み切れませんでした。

 

 

そこで電話で気持ちを伝えることにしたのです。

 

初夏の夜のことでした。

僕は普段はメールでAさんに連絡します。

意を決して僕はAさんに電話をかけました。

 

「今、人といるからかけ直すね」

 

拍子抜けでしたが、仕方ありません。

僕は電話を切り、折り返しの電話を待っていました。

 

そして、Aさんから着信が入ります。

 

「もしもし」

 

男の人の声でした。

 

「俺、Aちゃんの彼氏だけど、お前Aちゃんにつきまとってるらしいな。迷惑してんだよ」

 

僕はよくわからないまま電話を切っていました。

 

もちろんこのとき僕は精神病などではなく

決してストーカーのようなことや

つきまとったりしたことはありません。

遊び約束も断られたら断念していました。

 

友達として、お話したり

勉強したり遊んだりしていただけです。

 

 

 

その日、その瞬間から、僕の世界は

真っ暗な何も無い空間のようなところになってしまったのです。

 

 

好きになった人

初めて本音を語ることが出来た人

友達だと思っていた人

 

その人に絶望に叩き落とされたような思いでした。

 

 

もしかしたら

僕がこれまでしてきた彼女への接し方

それが他人からみたら異常だったのか。

 

もしかしたら、自分が心を許した人は、とんでもなく腹黒い人だったのか

 

 

僕は、何もわからなくなりました。

 

ここで、誰かに話を聞いてもらうことをしていたら

ひとりで悩まずにいたら

 

あんなことにはならなかったのかもしれません。

 

その日から僕は、豹変しました。

しかし、彼女を直接責めることは、出来ませんでした。

 

それまで嫌っていたタバコを吸い始め

教師に反抗的になり

授業中に堂々と帰宅したりと

明らかに問題児として振る舞いました。

彼女に、自分が傷ついたことを知らしめるためです。

 

 

 

そして僕は学校にあまり行かなくなり

ひとり部屋で苦悩するようになりました。

 

彼女も学校をよく休むようになりました。

 

彼女が悪い

僕が悪い

僕が異常

彼女が異常

 

その考えの堂々巡りでした。

 

夜も眠れなくなり

完全に昼夜逆転の生活になっていました。

 

学校の友達から心配して遊びの誘いなどもありましたが

僕は応えることはありませんでした。

 

苦悩の中で、彼女としたやり取りをよく思い直していました。

何か、彼女を傷つけることをしてしまっていないか。

彼女はそんなことをするような人ではない。

きっと理由があるはずだ。

そうだ、他の友達と交えて遊んでいたとき

彼女と僕の共通の友達が僕に気があるという話を聞いたことがある。

 

彼女はその友達のために身を引いたんじゃないか。

いやいや、そんな都合のいい話現実にあるはずがない。

 

そんな崩壊した日常を半年ほど続け

季節は冬になっていました。

 

学期も終わり、ほとんど学校に行かなくなっていた僕は

当たり前のように親を交えての面談となりました。

 

そのときの僕は、もう完全に彼女のことを憎むようになってしまっていました。

 

 

面談中

彼女のせいでこうなった。

あいつを退学させろ。

 

というようなことを言い大暴れしたのです。

 

 

このことで僕は実家に強制的に帰宅することとなり

初めて精神科に受診したのでした。

 

 

そのすぐあとのことでした。

 

 

彼女が亡くなりました。

自殺だったそうです。

 

 

僕は、ニュースで彼女の自殺を知りました。

もちろんニュースでは自殺者の氏名などは公表されません。

 

しかし、僕が暴れた数日後のこと

僕が暴れたあと、彼女にそのことを学校が面談で話していたこと。

出身地、年齢が一致していたこと。

 

 

彼女としか思えませんでした。

すでに精神科に通院し状態も良くなかった僕に告げられることはありませんでした。

 

 

僕はそのまま退学し

友人関係も気持ちが不安定なときにすべて削除してしまったことから

真実を確認することが出来ませんでした。

 

 

そのまま病気に苦しんで生きてました。

 

 

亡くなったのは彼女だったのか

いやいや、そんなことが現実にあるはずがない。

 

そんなことを何年も繰り返し考えていました。

 

 

そういう風に過去に囚われていた僕が、精神的に良くなるはずもなく

 

そのままズルズルと人生を浪費していきました。

 

 

ここからは、少し超自然的な話になります。

抵抗ある方はここで読むのをおやめください。

(ここまで長くしておいてそれはないですよね笑ごめんなさい)

 

 

あるとき、僕はひとりの年配の女性と出会います。

その人とは地元が同じで家も近く

友達の少ない僕の数少ない話し相手になってくれました。

 

 

相変わらず仕事が続かず

人生どうなるんだろう、まぁどうでもいいかこんな人生。

そんな風に思っていました。

 

そしてその女性と電話をしていたときのことです。

 

「あ〜。彼女も出来ないし、出来ても続かない。仕事も続かない。災難ばっかり。なんで、俺だけこんな目に遭うんだろう。俺、呪われてんのかな?笑」

 

ほんの冗談で言ったつもりでした。

 

 

「呪われてるってのは少し違うけど、いるよ、女の子。心当たりあるでしょ?」

 

 

ありました。心当たり。

むしろそれしかありませんでした。

 

ですが、もうそのときから随分時が経っていました。

 

 

所謂、視える人だったのです。

 

 

出会った当初から僕を見て感じたみたいでした。

 

 

なんですぐに教えてくれなかったの?

その人は僕に何故ついてきたの?

 

僕は矢継ぎ早に質問しました。

 

 

「そういうこと信じるとは思わなかったから笑」

 

 

( 'ω')マヂカヨ...

 

 

「その子、君のこと大好きだったんだって。だけど、君に気持ちをわかってもらえなくてつらかったって。君に酷いことをしてしまって本当に後悔してるって。」

 

 

彼女、いや、もうわかりにくいからおばさんって呼びます笑

 

おばさんの声は何故か震えていました。

 

詳しくは話していないはずの彼女についてのこともつらつらと言い当ててしまいました。

 

 

僕は、10年近く経って初めて

彼女の、Aさんの気持ちを知ることが出来たのでした。

 

 

そして、現在。

 

 

僕には、まだAさんの強い気持ちがついてきているようです。

幽霊とかそういう言い方はしたくありません。

 

 

まぁ、おばさんにからかわれてるって思うのが普通の考えなんでしょうけどね笑

 

 

でも僕は本当だと受け止めました。

そして、もし嘘だとしても

この気持ちに、Aさんを想ってきた、憎んできた気持ちに

踏ん切りをつけるために。

 

彼女と本当の意味でのお別れをしてきます。

 

 

あ、お金取られたり何かの宗教に入ったりするわけではありません笑

 

おばさんに僕の話を彼女に伝えてもらいます。

 

 

そんなわけで、僕は最後に彼女に安心してもらうために

少しでも良くなろうとようやく思うに至ったのでした。

 

 

病気についてほぼ関係ありませんでしたね笑

お目汚しすみませんでした( 'ω' )/

 

 

と、まぁそんな感じで僕は病気になりました。割と特殊な方なのかな。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

 

次のテーマは決まってますが、まだ勉強不足なのでまた次回に!